制作レポート【1】写真集をつくる、ということ からの続きです。
2023年5月の半ば。私たちは、長野・松本に降り立った。今日はここ、藤原印刷の本社工場で色校正の作業を行う。
色校正とは、試し刷り(これを「校正刷り」と呼ぶ)したものを色見本と比べて、色が適切かどうかを確認していく作業のこと。
色校正には主に3つの方法がある。
- インクジェットプリンターで簡易的に刷って主にレイアウトを確認する簡易校正
- 本番と同じ紙を使って行う本紙校正
- 本番と同じ印刷機と紙を使って行う本機本紙校正
後者になればなるほど、本番に近い状態での確認ができるため、色の再現性が高くなるが、もちろん、コストも上がっていく。
今回の写真集制作において保井さんが選択したのは、最も”贅沢”な色校正である本機本紙校正。しかも、それを全ページ行うのだという。
実は、皆が目にしたことがあるような有名な写真集でも、全ページ、本機本紙校正を行うということはほとんどないそうなのだ。多くの場合、ピックアップした十数ページだけ色校正を行って、あとは”よしなに”ということになるらしい。
保井「それってある意味で色に関して、責任のボールを印刷会社側に投げることになってしまいますよね。じぶんはそこにも責任を持ちたい。予算はかかるけれど、写真集をせっかく自費出版で作るなら全ページ、本機本紙校正をやったほうがいいと思うんですよね。」
校正刷りと色見本を照らし合わせて1枚1枚確認していく
そして、上がってきた校正刷りがこちら。校正刷りは1枚の大きな紙の裏表に複数ページが印刷されている。もちろん、本番の印刷も同じように印刷される。製本する際に、今回は1枚を半分にし、8ページを1束として本の形にまとめていくことになるそうだ。
印刷機には、上記校正刷りの下側から紙を差し込むかたちになる。端っこに印刷されたカラフルなラインは「カラーパッチ」と呼ばれるもので、印刷機のCMYK、それぞれのインキ量を測るもの。
印刷時のインキの流れは縦方向になる(上記の写真では↑の方向)ので、それぞれインキの量を調整することで、カラーの出方を微妙に変えることができる。つまり、校正刷りで見て、上下の位置に配置された写真はインキ量を調整したとき、共に影響を受けることになるのだ。
写真集のような書籍の場合、前述のとおり1ページずつ印刷するのではなく、複数ページをまとめて1枚の紙に印刷するので、この点を考慮しなければならない。
色校正のキーパーソンは、藤原印刷のプリンティング・ディレクター、花岡さんだ。プリンティング・ディレクターという肩書を初めて耳にした人も多いのではないだろうか。私もその一人だ。
花岡「色見本にしても、保井さんがご自身でインクジェットプリンターでいろいろと試行錯誤しながら印刷してくださったと思うんですが、おそらくそれでも叶わなかった部分が沢山あると思うんですよ。そこをいかに理想に近づけていくか、ここから見つけていきましょう。」
校正刷りは、保井さんから受け取った印刷用データを色見本を基に花岡さんが補正して、出力したもの。隣に色見本を並べて、ときにPC上のデータも確認しつつ、花岡さんがリードし、保井さんにヒアリングしていく。
といっても、”間違い探し”のようなセッションではなく、まずは花岡さんが1つ1つの作品を見て感じたこと、読み取ったことを共有し、そこから作り手である保井さんと共通認識を探っていくような、そんな時間だった。
花岡「保井さんのInstagramなども拝見させて頂きました。例えば、この横断歩道の写真光自体が強く入っているというよりも、自然な柔らかい光が入っていて、その上で暗部が締まっているので、光がよりキラキラと輝いているんですよね。だから、今回は暗部をどれだけ締めるか、ということがポイントだと思っています。どうですか?」
保井「そうなんですよね。インクジェットだと画面で見ているよりも、どうしても暗部が上がってきてしまうところがあって。黒いところは、潰れるくらい黒くて良い。」
花岡「影や闇が落ちてるから、光が入っているところが引き立つ。では、この写真だけでなく、暗部の全体を思い切って、ひと闇、ふた闇、足すようなイメージで調整してみます。
暗部を追い込むと、立体感や距離感が出てくる。とはいえ、今回に関しては暗部の追い込み作業の幅が10あるとすると、製版を3くらいで、残りの7は印刷段階にインキの盛り具合で調整したほうがうまくいくかもしれないです。今回で方向性をしっかり見定めつつ、インキ量でどう調整していくかは次回の印刷立会で検討しましょう。」
最初の校正刷りで及第点は取れると思っていた、という花岡さん。校正刷りで暗部が潰れないように仕上げているのには、もちろん意図がある。
色校正を通して、保井さんがどのくらい暗部を締めていきたいのか、実物を見ながら、ヒアリングするため。一旦、90%で出して、120%を目指していくのだ。
プリンティング・ディレクターの仕事
自身が20代前半の頃にMacintoshが産声を上げ、それまでのアナログ製版からMacintoshの製版へと移り変わっていく時代を経験してきたという花岡さん。
花岡「当時はアナログ製版の方が絶対的にクオリティが高かった。だから、僕らの上の世代の職人たちはその波に乗ろうとはしなかったんですよね。
でも僕らの世代はアナログの印刷と平行して、徐々にDTPを習得していった。アナログもデジタルも両方経験しているからこそわかる、どうやったらデジタルの印刷を古き良き印刷のクオリティに戻していけるのか?という点を、5年、10年かけて習得していきました。
その間にPhotoshopやIllustratorなどのDTPアプリケーションも進化しましたが、本当に苦労しました。」
「デジタルが普及して良くなったことは、今日みたいに、僕ら製版を担当する人間が、デザイナーを介さなくても、直接フォトグラファーと直接コミュニケーションが取れるようになったということ。
これがアナログの時代だと、間にデザイナーが入るので、フォトグラファーの意図はデザイナーのフィルターを一度通して、変換して、こちらに伝達されることになる。そこにも、得手不得手があったりしてね。
だから、こうやって作り手と直接打ち合わせの時間を取って、同じデータを同じモニターで見て、共有できるというのはデジタルの一番の良さですよね。」
ここまででも感じられたと思うが、印刷に関することだけでなく、写真自体への理解を深めようと問いかける姿も印象的だ。
花岡「保井さんの写真は、働いている人やものの写真が多いですよね。サラリーマンとか、電車とか、タクシーとか。」
保井「写真を始めた頃のじぶんといえば最終学歴が中卒で、非正規労働者でした。あまり社会と強いつながりが実感できなかった人生ともいえます。
そう考えると、じぶんにとって撮影することじたいが社会とのつながりを実感させる、救いのような行為なのかなと。なので、自然と働くひと、働くものに目がいってしまうのかも。それで、ようやく社会と繋がれる感覚があるというか。」
プリンティング・ディレクターとして、まず作品を理解すること。その重要性は、多くの有名写真集を手掛ける出版社の代表に、叩き込まれ、鍛えられたという。
紙のこと、印刷機のこと、そして写真のこと、全てを深く理解したうえで、データの補正から製版までを手掛けるプリンティング・ディレクターの仕事。
会社によって、担当する業務の範囲は異なるそうだが、藤原印刷のプリンティング・ディレクターの仕事は、製版というよりも、どちらかというとレタッチャーに近い立ち位置なのだとか。知識と技術の習得には、相当な時間がかかるのは想像に難くない。
「AIに仕事が奪われる」なんてことを近年本当によく耳にする。
機械の性能向上やテクノロジーの進化である程度、解決出来てしまう部分はもちろんあるだろう。正直なところ、今回の色校正の作業も素人が見たら「何が違うのかわからない」かもしれない。
だけど、何が違うのかわからない微々たるバランスを調整することで、全体のクオリティは確実にグッと上がる。必要なのは、人の感性。そして、感じたことを具現化するのに必要なのは技術。
それを行えるのは結局、人間だ。
「もう、ひと闇なんだよな。」「もっと良いところ、行けるんで」「これは期待しててください」と、淡々と赤いペンでメモを記していく花岡さん。
画面の中と紙の上を繋ぐキーパーソンの言葉、ひとつひとつがとてつもなく頼もしく感じた。
二人三脚で進める色校正
保井「しかし、紙の上で自分の写真を見るのはたまらないですね。そして、色に関して、文句ないです。素晴らしい。」
色が良いと言って頂けるのが一番嬉しい、と言いながら、花岡さんは「マジで完ペキ!」とメモを書く。
花岡「今回は紙が良いから、シミュレーションしやすいんですよね。紙で遊ぶ写真集も近年多いですが、オーソドックスに良いものを作る、という今回の思想は、保井さんの写真にも合っていると思います。
とはいえ、校正刷りは平らな紙の状態なので、どうしても余白に目が行ってしまう。本当は製本した状態で確認するのが良いんです。本の形になっていると、写真に目が行く。」
と、ここで登場したのが製本した状態の校正刷り。藤原さんが急いでサンプルを作るよう手配してくださったそうだ。
本番と同じ紙、印刷機を使って刷った”贅沢な束見本”。普段、作ることはほとんどないとか。保井さんのテンションもますます上がっていく。
保井「めちゃくちゃ良いじゃないですか。こうやって見ると、現状のままでも良いんじゃないかって思ってしまいますね。」
花岡「いやいや、もっと追い込めますから(笑)」
校正刷りと色見本に加えて、製本された校正刷りを用いることで、どの写真が見開きで隣り合うのか、前後のページにどの写真がくるのか、ということがひと目で分かりやすくなった。これまで見えてこなかったことが、見えてくる。
保井さんへの問いから、それぞれの写真に込めた彼の意図や想いを聞き取ることを重ねていくことで、色校正作業の後半では、より直接的な提案とアドバイスが増えていくのが印象的だった。
保井「よーし、終わり!楽しかった。」
朝10時に松本に降り立ったこの日、ほぼ丸1日を使って全192ページの色校正作業が終わった。この後、花岡さんの方で、データの補正を行い、製版を行う。
次回は、いよいよ印刷の立会いだ。
(写真:市川渚 井上秀兵 保井崇志)